退任にあたって

この度、仙台一高ラグビー部が創部80周年を迎えることができましたのは、ひとえに歴代の顧問の先生方、保護者の皆様、多くのOB会会員の皆様、そして現役の部員のご支援とご尽力の賜物でございます。

仙台一高ラグビー部は、80年という長きにわたり、多くの先輩方の汗と努力によって築かれてきました。その歴史の重みと伝統を改めて感じるとともに、ラグビーを通じて培われた友情や絆が、今も強く息づいていることに深い感謝の意を表します。

顧問の先生方には、日々のご指導とご尽力に心より感謝申し上げます。保護者の皆様には、お子様の成長を温かく見守り、サポートしてくださることに感謝しております。そして、全国各地で活躍されているOB会会員の皆様、皆様の変わらぬご支援が我々の誇りであり、励みとなっております。

80周年を機に私は会長を退任にし、59回の相澤君が新しく会長となります。私が39回なのでちょうど20年若返ります。

私の在任していたこの10年間は男女共学、コロナの流行と一高ラグビー部にとっても激動の10年だったと思います。部員は減少し、コロナで活動できない期間があるなどマイナス面がありましたが、プラス面では新しく女子のマネージャーが入部し、そしてOB会にも入部、他校と合同チームを結成することにより様々な友情が芽生えました。

コロナ禍では仙台一高ラグビー史上、最高の試合を目の当たりにすることができました。

記憶が確かなら2020年の花園予選1回戦、会場は利府のサッカー場、73回生です。一高は単独チーム、相手は合同チームです。相手にリードされ、試合も終了間近、いつノーサイドの笛が鳴ってもおかしくない状況。一高はロスタイムでようやくトライを取る。コンバージョンキックを決めれば逆転できる。

結果、キックを決め逆転、ノーサイド。ドラマティックな幕切れでした。

当時はコロナで練習もあまり出来ず、苦しい状況下での試合。その勝利までの道のりも少しは知っていたので、観客席で感動しました。OBの皆様にも自分のベストマッチがあるとは思いますが、私が選ぶ仙台一高のベストはこの試合です。

白紺のユニフォームを着て、15人制の一高単独チームでの勝利は、実はこれが今のところ最後の試合となってしまいました。

いつの日か単独チームでまた試合をできる日があればと思いますが、その後も合同チームとして素晴らしい試合を続けています。部員が少なくても懸命にラグビーを愛し続ける姿には感動せずにはいられません。部員が少ない分、ラグビーに対する愛情は大きいと思います。

加えて、最近の卒業生に言えることは、大学進学もラグビーを続けている子が多いということです。大変うれしいことだと思います。

私はOB会長は退任しますが、これからも変わらず仙台一高ラグビー部を陰ながら支えていきたいと思います。そして仙台一高ラグビー部、OB会が更なる発展を遂げられるよう、OB会一同、力を合わせて参りたいと存じます。今後とも変わらぬご支援、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。10年間ありがとうございました。

仙台一高ラグビー部OB会 前会長

小藤寛正

空白でない高40回生の戦績

創立80周年おめでとうございます。

ずっと気掛かりになっていたことがあります。
それは、70周年記念誌で、40回生の記録が空白になっていることでした。
なので、古いスコアブックに記録されてていた40回生の記録をここに残しておきます。
僕自身の具体的な試合の記憶は薄れているけど、たくさんの仲間に恵まれて、楽しかった空気感は今でも覚えています。
いつの日か一高の選手が、花園に出る日を遠い岩手の地で願っています。

40回生ラグビー部の記録
(昭和60年)1年生
4.12 クラブ総会
4.29 セブン 対二高 4−10 ●
5.4 練習試合 対南高 14−0 ◯
5.29 あの紺のジャージ届く
6.1 総体 対石巻工業 ●
7.31 練習試合 対名取北 4−4 △
8.4〜8.8 合宿(蔵王) 南高校と一緒。恐怖の4時起床
8.24 山口良二さんに会う。1年マッチ 対育英 4−0
9.1 市民戦 対二高 ●
9.7 市民戦 対市工 10−24●
9.8 市民戦 対仙高 22−4 ◯
9.15 市民戦 対東北 4−40 ●
10.11 花園予選 対科技 ●
11.14 新人戦 0−11 対三高 ●
11.15 ラグビー部解散

(昭和61年)2年生
1.1 定期戦 対二高 ◯
3.14〜19 春の合宿
3.27 名取北に敗北
4.12 対二高 0−0
4.13 対東北 32−4
4.20 対学院 408
4.29 7人制準優勝
6.1 総体 8−10 佐沼 ● 新主将にMくん
7.26〜7.31 合宿(校内)
8.4〜8.7 田沢湖合宿
8.20 対南高校 3−12
8.22 対学院 0-10
花園予選 ベスト8 1回戦 10−0学院
2回戦 9−4古川
準々決勝 0−40宮水
新人戦 対気仙沼高 4−10

(昭和62年)3年生
1.1 定期戦 3−6 対二高 屈辱のスクラムトライ
3.24〜3.29 合宿
4.11 対南高校 6−4 新チーム初勝利
4.29 7人制3位
総体 1回戦 対気仙沼水産 42−0
2回戦 対名取北 0−6
8.21 市民戦 26−0仙台
8.22 市民戦 6−24東北
8.24 市民戦 24−6学院 Bブロック2位
9月 0−24育英
10.9 花園予選 1回戦 24−4利府
10.11 花園予選 2回戦 0−56佐沼 ベスト16

※当時のメモなので、事実と違うところがあるかもしれません。ご容赦ください。

追伸)
80周年にこうして書こうという気持ちになるのも、
長年OB会の事務局をやっている同期がいるからです。
本当にありがとうございます。

高40回生 匿名希望

自分なりのポリシー

この度は創部80周年、誠におめでとうございます。
2003年に一高を卒業し、現在は東京で不動産デベロッパーとして働いております。


私は高校入学するまでは、バスケットに取り組んでおりました。しかし、自由な校風の一高に甘え、部活動だけに時間を使うことをもったいないと思った私は、小学校4年から続けたバスケを辞め、一時帰宅部となりました。が、その後1週間も経たぬ間に、当時監督の藤田先生はじめ、同期の仲間にラグビー部へのお誘いを頂き、そして(即日、先生にラグビージャージとハイソックスを頂き)いつの間にか入部しておりました。入部当時170センチそこそこの身長で、体重は50キロ、ベンチは20キロの棒が上がらないくらいでした。更にハードなスポーツの為、母親に猛反対を受けた記憶があります。そこからはフィジカル強化の為、毎日食事とトレーニングに必死になる毎日で、引退時には体重は85キロ、ベンチプレスも80キロそこそこは上がるようになっておりました。一般のラガーマンの中では決して大きくはない為、骨折や脱臼を繰り返しながら、少しでも試合でいいパフォーマンスが出せる準備をしていた記憶があります。常に個人及びチームのメンバーと切磋琢磨し、チームを作り上げていくプロセスは、あの時だからこそできた非常に貴重な経験です。

現在仕事では、ある程度の責任ある立場にありますが、重要な判断を行ったり、時には会社と闘わなければならないこともあります。そんな時こそ、一高ラグビー部時代の経験を思い出し、1人で無理なことでも、上司部下問わず仲間に頼り、時に頼られ、の関係を大切するポリシーをもって働いております。簡単に聞こえますが、頼みを聞いてもらうにも、頼られるにも「信頼」が必要で、これはラグビーのプレーに似ていると思っております。ぜひ現役の皆さんも、今後の生活の中で自分なりのポリシーをもって取組んで言って頂ければ幸いです。皆さんの将来に期待し、寄稿文とさせて頂きます。

高55回生 三浦陽平

創部80周年に寄せて

創部80周年おめでとうございます。
輝かしい歴史を築き上げてくださったOBの先輩方、そして今も伝統を守り、日々グラウンドで汗を流す後輩たちに、心からの敬意を表します。
現役時代には、世代の近いOBの先輩方がグラウンドに足を運んでくださり、少ない人数の私たちに体を張ってラグビーの楽しさ、厳しさをご指導いただきました。その節はありがとうございました。
ラグビー部で過ごした日々は、私の人生にとってかけがえのない宝物です。苦楽を共にした仲間、ご指導くださった先生方、そして「One for All, All for One」の精神は、今も私の支えとなっています。
次の90周年、100周年に向けて、さらなる歴史を刻んでいくことを願っています。

高60回生 太田哲郎

フォワード突っ込めー!!

22年前、クラス担任兼ラグビー部の顧問である藤田先生(通称F)からの強い誘いを受けラグビー部に入部しました。先生の当時の年齢は40歳であり、自分もあと2年で当時の先生と同じ歳に達すると考えれば月日の経過を感じます。
思い返せばラグビー部での3年間は常に『挑戦』の連続でした。
足首タックル、土手ラン、菅平合宿、ハンバーガー13個食い企画。真壁伸弥(後の日本代表)との対戦。最凶留学生ニコラス・アッピネル率いる仙台育英との対戦(125-0で完敗)。
夏合宿出発前に閉鎖された北門を隠れてよじ登りコンビニに行ったことがバレたことで顧問から丁寧なご指導をもらったこと。
全ての思い出が昨日のことのように蘇ります。
全ての思い出は今の自分を形成し、チャレンジ精神の基になっています。


さて、社会人になり13年が経ちました。部下を持ち、家庭を持ちながらも新しい挑戦を始めました。それは『しょうへいの山登り』というYouTubeチャンネルを開設したことです。
撮影し、編集し、投稿する。
文字にすれば簡単なことですが、企画、カメラワーク、トーク、編集の全てを自分でやるとなると案外難しい。力を込めた動画が伸びなかったり、テキトーな動画が伸びたりするので試行錯誤をしながら如何に再生数を伸ばせるか日々研究しています。
主なテーマは山登り、マラソン、トレランです。雲海と天の川や北アルプスの山々、仙台ハーフマラソン、横浜マラソン等のレース奮闘記を記録しています。
目下の目標はMtFuji100という100マイルレースを完走することです。富士山の周りを約3/4周、全長168km、累積標高差6254mを48時間かけて走るレースです。フルマラソン4回分、富士登山2回分の高低差に相当します。加えて、今年2月の体重は100kgありました(強豪校のプロップ体型)。なまりきった役満ボディーに鞭を入れて走れる体を作ることが最大のハードルです。
ラグビー部で培った『挑戦』というマインドが今の僕の原動力です。前に出ろ!フォワード突っ込め!当時のことを思い返しながら精進しています。
最後になりますが、80周年という長い歴史を築いて頂いた諸先輩方とチームメイト、監督に感謝致します。一高ラグビー部の益々の発展をお祈りし結びの言葉と致します。一高シャッ!!

高58回生 瀬川尚平

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